ご存知の通り、歌舞伎町にはたくさんの飲食店と遊戯施設、そして風俗店にバーやラブホテルなどが軒を連ねています。
深夜もネオンで明るく人通りも多く、通勤時間帯になっても酔っ払いの姿をしばしば見かけることもあり、まさに「眠らない街」の異名を取る東京屈指の歓楽街。
そんな歌舞伎町の昭和から平成、令和への変貌を子供の頃から新宿に親しんでいる筆者がご紹介したいと思います。
ひと昔前の歌舞伎町は怖かった!
古い話になりますが筆者が10代の頃、今から30年くらい前の昭和40・50年代のお話です。
当時の歌舞伎町は、広場(現在の歌舞伎町シネシティ広場)を囲むように映画館が点在していました。ミラノ座やオデオン座、新宿プラザなどの映画館に友人と行くときには「歌舞伎町1番街」か「セントラルロード」を通らなければならず、これがそうとう勇気がいることで、歩くときには肩に力が入り緊張したものです。
パンチパーマにエナメル靴、黒地に赤が入ったジョーゼットのブラウスを着た、今では見かけない独特ファンションに身を包み道を闊歩する殿方なども多く、昼でも1人では歩きたくない、歩いたこともない。それほど東京生まれの人でさえ歌舞伎町に怖いイメージを持つ人が多かったのです。
「だったら渋谷に行けばいい」と言われても、家が新宿に近いので買い物や映画は新宿に来る機会が多かった訳です、ハイ。
当時の歌舞伎町はいま以上に路地裏は淫靡な雰囲気の男性向け飲食店や風俗店が多く、ベロベロに酔って客引きに付いて行ったらボッタくりバーだった!なんて言う話も実際に多々あった話。
そして、歌舞伎町の裏手から大久保寄りまではラブホテル街が広がり、ホストクラブやキャバクラがかなり増えていますが、昔はホテルしかないような寂しいエリアで「立ちん坊」と呼ばれる女性なんぞも道に立っていました。それが今ではポップな色合いのホストの看板が明るくお出迎えするようになろうとは、当時の誰が想像できようか。
そんなラブホ街に昭和の香りがする「新宿バッティングセンター」があるのが、さすが歌舞伎町!健全にただバッティングを楽しみたいだけのカップルも、ラブホ街に足を踏み入れないと辿り着けないとは。
ラブホ街にあるもう一つの有名店といえば創業46年の老舗ホストクラブ「愛 本店」。その斜め先にあるのが「マリリン」というおなべバー。両店舗とも現在も営業していますが、大昔、雑誌の取材で2軒ともお邪魔したことがあったっけ。その話はまたの機会に書くとして。
さらに怖かった場所と言えば、「さくら通り」。怪しげな風俗店が多く、呼び込みのお兄さんが道で客引きをしていて女性が近づきたくない危険な空気が流れていました。ロボットレストランができてからは、欧米人観光客が無邪気に行き来する不思議な光景が見られます。
韓流ブームから歌舞伎町に変化が
女性にとっては歌舞伎町=怖いイメージがあったのですが、その怖いイメージが変わるきっかけとなったのが韓流ブーム。2003年ごろから大久保界隈に日本人観光客が大勢詰めかけるようになり、新宿から大久保へと人(女性)が流れるようになりました。歌舞伎町を通って買い物やランチをしにワクワクしながら大久保方面に歩いて行く奥様軍団。
その頃は、バッチリメークでおめかしした60代くらいの小グループが歌舞伎町をうろちょろしていて、違和感を感じたのを覚えています。
実際、韓流ファンだったママ友や友人に連れられて何度か大久保にランチに行ったとき、ホテル街の方へと歩いていくので、「え、そっちはラブホ街でしょ、西武新宿駅の方から行った方がいいんじゃないの?」と言うと、「大丈夫よー、いつもここを通ってるもの、近道だし!」と、真面目な主婦である彼女たちの口から出た言葉にはビックリ。
ラブホテル街を白昼堂々と天真爛漫に歩くマダムたちが「歌舞伎町のイメージを変える起爆剤になった」といっても過言ではないと私は思っています。
外国人観光客が闊歩する街へと
韓流ブームが徐々に下火になってくるとともに、今度は中国人の団体ツアー客が新宿の町に増えていきました。旗を持ったガイドが中国人グループを連れ歌舞伎町をウロチョロ。子連れの観光客が歌舞伎町の裏通りを普通に歩いている光景も見かけるようになりました。
ところが2011年3月11日に発生した東北大震災で、中国と韓国からの観光客の姿が激減。「観光客がいなくなったな~」と思っているところに、今度は台湾人と欧米人のバックパッカーたちが日に日に増えていきました。そして時を同じくして、長いこと歌舞伎町のシンボルだった新宿コマ劇場が解体。2015年にニューシンボル新宿東宝ビルがオープンしました。
さらにオリンピックの開催が決まってからは、この数年でタイ、インドネシアのアジア人も増え、欧米人観光客がどっと増えました。
いまやアジア人より欧米人が多いように思える状態で、ゴールデン街やラブホテル街にある「サムライミュージアム」「ロボットレストラン」のあるさくら通りを大勢の欧米人が歩いている姿を見て、まさかあの1番怖かった通りでこんな光景を見る日が来ようとは・・・。
しかし、いくら観光客が増えクリーンなイメージになってきたとは言え、ボッタくりの店が無くなった訳ではないようで、歌舞伎町の入口では「ボッタクリ注意!」のアナウンスが流れ、立て看板も今だ健在です。
飲みすぎの男性は甘い罠にはくれぐれも注意をしてくださいね。
そんなこんなで、歌舞伎町は混沌とした雰囲気から明い町へとイメージ一新し外国人観光客が多く訪れる観光スポットへと変貌しました。
でも、日本らしい昭和の風景、ゴールデン街や思い出横丁など戦後の面影を残す古い街並みはずっと残して欲しいです。
2023年10月追記
2020年、新型コロナウィルスの世界的な蔓延で新宿の飲食店もデパートも打撃を受け、観光業は低迷状態が続いていました。2023年の夏ごろから徐々に欧米人観光客の姿が増え、今はアジアからの観光客の姿も多くなってきました。
外国人観光客が戻ってきて、新宿は再び賑わいを取り戻しています。今後は海外からの観光客がさらに増え、パワーアップしていくであろう新宿から目が離せません!
(文:松尾まみ)
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