いまや言わずと知れた、セクシャルマイノリティーが集う街「新宿二丁目」。アジア最大のゲイタウンとも呼ばれています。
一時の排他的な雰囲気は既になく、女性1人でも気軽に遊びに行ける街へと変化を遂げました。しかし現在の状況に至るまでには、色街からの転身や出会いの場としての地位の確立など、さまざまな変遷がありました。
今回は、私ミヤザワが新宿二丁目に通うなかで実際に見聞きした、この街の“今と昔”をご紹介いたします!
色街として栄えた後、ゲイタウンへと変化を遂げた背景とは?
新宿二丁目と呼ばれる一画は、明治期以前から色街として栄えてきました。関東大震災で吉原などの遊郭が打撃に見舞われるなかでも、新宿二丁目はその影響を受けませんでした。そのため新宿二丁目は色街としての全盛期を迎えます。
戦災により一度は消失しましたが、政府公認で売春が行われる地域(いわゆる“赤線”)として生き残ってきました。1958年に施行された売春禁止法によって、赤線としての歴史は閉じたものの、その跡地にゲイバーが開店。現在のゲイタウンとしての新宿二丁目が出来上がるきっかけになりました。
それまでゲイバーは都内各地(上野など)に少数点在する程度であり、新宿二丁目のようなゲイタウンは存在しませんでした。そのため、特に1960年代以降は盛り上がりを見せることとなっていきます。
また、70年代以降に続々創刊されたゲイ雑誌に広告が載り、“新宿二丁目=ゲイタウン”としての認知度が高まりました。
この頃には、バーだけでなくクラブスペースも増え、イギリスの伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーも来店するほど有名な場所へと変化を遂げたのです。
バブル期以降の「新宿二丁目」は恋愛面に変化
80年代後半から世間的なゲイブームが起こり、ゴールデンタイムのTVにゲイが登場する機会が増えました。また、「人目につかず飲める」場所として、芸能人の利用も多くなっていきます。
新宿二丁目の認知度はますます高まり、セクシャルマイノリティーたちにとっての「出会いの場」としても機能し始めます。それまでは上野公園などの屋外を中心に、ほぼ一期一会のような出会いの機会しか得られなかったセクシャルマイノリティーたち。彼らが集う場所として、新宿二丁目が利用されるようになりました。
当時は今からでは考えられないほど、セクシャルマイノリティーは「タブー」として扱われていました。そのため日常的なカミングアウトは不可能に近く、上野公園などで出会った相手の素性を聞くことも容易ではない状況。必然的に彼らの出会いは“その場限り”のようなものでしたが、そこに提供されたのが「新宿二丁目」という場。言い換えればこれをきっかけとして彼らの“継続的な恋愛”が可能になったのです。
現在の「新宿二丁目」は観光バーが増えて誰でも行きやすくなった!
現在では450店ほどのゲイバー・ビアンバーが点在。対象外の性別者が入店できない会員制の店もありますが、異性愛者も入店できる「観光バー」も増えてきました。バーだけでなく、大人向けグッズや下着の専門店もあります。
ところが、不況、出会いの場がインターネット上へ移行したこと、観光バーの増加による異性愛者の参入、またオフィス街化が進んできたこと等々が原因で、近頃は同性愛者が集まりにくくなりつつあるとも言われています。
性的に「ストレート」な皆さんは、セクシャルマイノリティーの人々に敬意を払い、彼らが開放的になれる場所を奪うことのないように気をつけつつ新宿二丁目を楽しみましょう!
そしてまだ「新宿二丁目」への一歩を踏み出せずにいるセクシャルマイノリティーの皆さんは、勇気を出して飛び込んでみましょう。自分を変える出会いが、必ずそこにあるはずです!
もともと色街の跡地に出来上がったゲイタウンとしての新宿二丁目。セクシャルマイノリティー同士の出会いや恋愛を可能にする場としての機能を持つようになり、今やマイノリティー以外の人々にとっても様々な人と出会える楽しいお酒の場へと変化してきました。
メインストリートである「仲通り」には気軽に入れるカフェやレストランも多く、昼間はサラリーマンがランチを食べに来ることも。
新宿界隈で遊ぶなら一度は足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
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