戦前から現代まで歌舞伎町の激動の変遷を振り返る
三越屋上から歌舞伎町方向を写した昭和27年~30年頃の写真です。左下の道が新宿通りで、正面奥の体育館のような建物は東京スケートリンク(新宿ミラノ座)です。
当時の歌舞伎町はまだ現在のような繁華街ではなく、映画館や劇場を中心とした娯楽エリアへと変貌しつつある時期でした。
大久保の名の由来と湿地帯だった頃
現在の歌舞伎町エリアは、かつて「大久保」の名の由来となる窪地の湿地帯でした。この地域には、元大村藩主・大村氏の邸宅があり、その広大な敷地が後に開発されることになります。
江戸時代には、周辺に鴨場(かもば)があり、幕府の狩猟地として使われていました。また、江戸郊外の農村地帯として機能しており、現在のような繁華街とはかけ離れた風景が広がっていました。
明治時代以降|高級住宅街として発展
明治以降、このエリアは都市開発が進み、閑静な住宅街として発展しました。軍人や官僚、大臣などの邸宅が集まる高級住宅街として知られ、多くの著名人がこの地域に住んでいました。
当時の新宿は、現在のような繁華街ではなく、いわゆる山の手の静かな住宅地でした。商業地区の中心はまだ四谷や日本橋であり、新宿が繁栄するのはもう少し後の時代です。
東京府立第五女学校の創設
1920年(大正9年)、この地に東京府立第五女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)が開校しました。
この学校は、当時の女子教育の中心的存在で、礼儀作法や裁縫、音楽などを重視した教育が行われていました。
また、裕福な家庭の娘が多く通い、品の良い住宅街の雰囲気を作り出していました。
現在の賑やかな歌舞伎町のイメージからは想像もつきませんが、教育機関が集まる静かな文教地区でもあったのです。
1932年|東京市淀橋区に編入され市街化が進む
1932年(昭和7年)、この地域は東京市の淀橋区に編入され、市街化が進みました。徐々に商業施設が増え、住宅地から都市型のエリアへと変わっていきました。
しかし、この頃まではまだ劇場や映画館などの娯楽施設は少なく、「新宿駅周辺が発展してきた」という段階でした。
1945年|東京大空襲と復興計画
ところが、1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲によって、新宿一帯は壊滅的な被害を受けました。
東京の下町を中心に約10万⼈の死者を出したとされ、新宿周辺も例外ではなく、一面焼け野原と化しました。
かつての高級住宅や学校も焼け野原となり、多くの住民が避難を余儀なくされ、一時的にこのエリアは人口が激減してしまいました。
歌舞伎町の由来|歌舞伎座はないのになぜ歌舞伎町?
戦後の復興計画の一環として、新宿には「歌舞伎劇場を中心にアミューズメントを建設する」という構想が持ち上がりました。
この計画に基づき、新しい町の名前は「歌舞伎町」と名付けられました。しかし、財政難や計画の変更により、歌舞伎劇場は結局建設されることはありませんでした。
この計画では、歌舞伎をはじめとする日本の伝統芸能を楽しめる劇場を新設し、その周囲に映画館、演芸場、ダンスホール、飲食店などを誘致する予定でした。
当時、日本の伝統芸能である歌舞伎は大衆文化として高い人気を誇っており、特に戦後の人々の娯楽需要を満たすものとして大きな期待が寄せられていたためです。
しかし、資金調達の困難や政府の都市計画の変更により、肝心の歌舞伎劇場の建設は実現しませんでした。結局、劇場の代わりに映画館やキャバレーが増えていき、町の性格も次第に「娯楽街」へとシフトしていきました。
こうして、「歌舞伎座がないのに、なぜ歌舞伎町?」という不思議な町名が生まれたのです。
1950年代以降|歌舞伎町の変貌
歌舞伎劇場が建設されなかった代わりに、戦後は映画館や演芸場が次々とオープンし、このエリアは娯楽の中心地へと変貌していきました。
1956年には新宿コマ劇場が開業し、多くの人々が訪れるようになりました。
また、カフェーやナイトクラブが増え、歓楽街としての側面も強くなっていきました。
高度経済成長期(1960年代~70年代)には、さらに繁華街としての色合いが強まり、「眠らない街」としてのイメージが定着していきます。
現在の歌舞伎町|変遷をたどる
現在の歌舞伎町は、日本最大の歓楽街として、国内外から多くの観光客が訪れるエリアとなりました。
しかし、その変遷を振り返ると、かつては高級住宅街や学校があった閑静なエリアであったことが分かります。
時代 | 歌舞伎町の様子 |
---|---|
江戸時代 | 湿地帯・鴨場・大名屋敷 |
明治・大正 | 高級住宅街・軍人や官僚の邸宅 |
昭和初期 | 女学校や市街化が進む |
戦後 | 焼け野原→娯楽都市計画 |
昭和後期 | 映画館・劇場・ナイトクラブが増加 |
現在 | ネオン街・観光客が集まる歓楽街 |
このように、歌舞伎町は時代とともに大きく姿を変え、現在の姿に至っています。
今や国際的な観光地となったこのエリアですが、歴史を知ることで、新たな視点から歌舞伎町を楽しめるかもしれません。
歌舞伎町を訪れた際には、その変遷にも思いを馳せながら街を歩いてみてはいかがでしょうか?
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(文:YOKOSO新宿編集部 松尾まみ)